Others 初対面なのにどうしたん

初対面なのにどうしたんシリーズ 2人目

状況説明

今回の初対面なのにどしたんシリーズは、語学学校のとあるシーン。生徒側は一定期間一緒に学んでいる仲で、講師が交代した授業での一幕です。つまり、講師が初対面なわけですが、私が違和感を感じたのは他の生徒たちの振舞いに対してでした。

違和感を感じた発言・行動

  • (当てられた人が答えられない/考えている時に、カットインしてぐいぐい発言する生徒達に対して、講師が制止するのしくは口頭注意することに対して)非常にイライラした雰囲気を出して次第にやる気がなくなる。答えられない生徒が原因で授業が進まないのでやる気がでないと間接的に態度でもしくは生徒間で文句を言い始める(コソコソ)
  • (フランス語は発音が非常に難しく、それにフォーカスするとともに、発言は文でさせて覚えさせるという方針だったようで、辛抱強く発音に対して音が良くない、もう一度言ってみるように促すスタイルに対して)だんだんと、いらだちが強くなり、講師の言った文や発音を繰り返さない、部分的に回答部分のみの単語を発言するケースが散見される
  • (何を言っているか聞こえない声が小さな生徒や、いろいろ言うが発音を矯正する必要があると判断した生徒に対して、繰り返し矯正できるように指摘をいれることに対して)非常に嫌そうな顔、態度を示しまるで自分が指摘されることが許せない、もしくはそんなはずがないと心で思っている人が示す表情が散見される。
  • (だんだんと携帯をいじる生徒が増え、リスニング中にも携帯を触っている生徒がしばかれる(在籍者の20%に上る))集団授業であっても個人的なモチベーションに従い、他者への影響という視点に欠ける。

周囲の反応(今回は私の反応)

  • 講師のやり方に違和感はなく、フラストレーションも溜まらなかった。(一人ひとり当ててじっくり答えさせる方式や、違うことを丁寧にできるまでリードするスタイルは公開処刑ともいえるが語学初学者の授業においては非常にサポーティブだと感じた)
  • 欧米のワイガヤ系の授業ではなく、講師と生徒との構図もはっきりしており日本に近いスタイルであることもなじみやすかった背景でもあるが、講師のリードを邪魔するようなことは控える(そもそも他人が発言している時にカットインすることは好きではない)という至極簡単なことよりも自己主張を優先する感覚に違和感を覚えた。
  • むしろ、生徒達に対して何をそんなにイライラしているのか?(と思い休憩時間にクラスメートにストレスなのか聞いてみた。できない生徒(ボトムアップ型)では進度が遅くなり面白くない。らしいが、自分も全然できなくて時間がかかったとしても、攻撃の対象は他人、自分は大丈夫、わかっているということに疑念がなさそう。)
  • 学習の場で授業に対して非協力的な態度及び講師の意図を理解できていない点に、クラスメートたちの客観的自己認/環境認識力の低さを感じた。

心のノート

特定の国が持つ文化によっても様々ではありますが、日本にいても陽キャ陰キャに表されるように対になる性質の人々がいますので、国や地域には言及せずこの状況に対して考えたことを残しておきます。

非常に日本的な結論になってしまいますが、”素直さ”と”謙虚さ”というものに欠けるということです。

他の生徒の前であろうと失敗やうまくいかないことに対して、比較ではなく自己の中でその芸の未熟さを認め、自己成長のために何が必要なのかに集中する気持ちの欠如。また、客観的にその行動が褒められるものではないことをした場合であっても、自身の不適切な行動だけを顧みるのではなく、周囲に対して与える影響の一端となっていることに対する謝りの念がない。

積極的に発言をすること、授業への貢献というものが評価軸に入るのは、もはや一般的なことかと思いますが、特に語学学校の初級クラス程度の初学者の集まりのような場において、この積極性は正直ノイズでしかありません。授業内容に精通した生徒達に行う授業とは、生徒に対しての役割期待が全く異なるからです。

この件を通して私は生徒たちから(もちろん全員ではない)”相手に合わせる”というスキルを感じませんでいた。これは、所謂”空気を読む”、”察する”とか”感じ取る”という同義ではあるが異なる表現で表される日本人が強いとされる性質を話しているのではありません。私は”相手に合わせる”ということをスキルだと考えています。つまり、様々な文化背景に因らず、この”スキル”は身に着けることができるユニバーサルなものだと考えています。

日本人の性質として語られるものは生まれつきのものでしょうか、どこから来ているのでしょうか。英語を学習したり、長い道のりの中を歩く”忍耐”が、物事には必要だということを文化的にかつ無意識的に理解しているような気がします。これは仏教の精神性でしょうか。戒・定・慧(かい・じょ・え)とか禅寺の修行とか。規律を守り、心の安定を保ち、真理を追究理解する。これは外部環境の影響ですので、このような土壌がなければ他国では備わないものかと言えば、結局は、同じ経験をしたことがある相手には寄り添えるということです。

少し話は変わりますが、常に何かを買ってもらわないといけない職業と常に助けてほしい人が来る職業では、スタート地点においては構造的かつ決定的に立ち位置が異なります。相手に合わせるというのは、顧客のニーズを探る・見つける・創り出し、そしてその先にある買ってくれたということが自分の益になるという好循環を生む思考だと考えています。

常に助けてほしい人が来る職業における顧客のニーズを探る、ということは前述の職業とは大いに意味合いが異なるでしょう。もちろんこの例は職業である必要はありません。常に自分を買ってもらわないといけないポジション、常に自分が求められているポジションと読み替えてもよいでしょう。この、相手の動き(好みや、やり方)を捉え、それに対して自分がどのように振舞うかを決める洞察のプロセスをスムーズに行えるかどうかが、スキルであり身に着けることができるものだと思います。固有の文化からの影響は少なからずあるかもしれませんが、私たちは他国に来て勝負しているわけです。ですから、所謂”プライド”と言われるなかなか自分で気づくことのできない思想(他人と自分という発想に起因)を定期的に見直していきたいと思います。今日の生徒たちは、自分が風上にいることを示していたい、けれども自分ができないことにはあまり直視したくないということなのかもしれません。

一括りにできない、けれど”日本人は”と言われてしまうように、私もどこかの誰かに人をみて国を感じることはあります。

知らないこと、今は苦手なことがあることを理解して、それでもやらなきゃできないから恥をかこうと、何を言われていようと、素直さをもって謙虚に物事に取り組んでいきたいと思う次第です。謝ることができる大人でいたいですね。

多様性の中にAttitudeとは何か、NYにいた時とは全く違う環境です。

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