引き寄せられるようにして、僕は神社に夢中になった。5年ぶりに正月を日本で過ごし、ゆく年くる年を見ながら、画面越しから聞こえる焚き木のパチパチとした音と除夜の鐘が年明けの眠りに誘う。
幼少期はゆく年くる年でいつも知恩院の鐘つきを見ていた気がするが、今年は知恩院が映らなかった。もしかしたらここ最近は映らないのかもしれない。10代後半になると、除夜の鐘つきにいったり、初詣だの初日の出だの言って外を彷徨っていた時代もあった。社会人になってからは毎年大晦日に京都に行き、元旦の夕方に返ってくる様な生活をしていた。
そういえば、ゆく年くる年に出てくるのはお寺と神社両方が混在していることに気がつく。お寺にも神社にもおみくじはあるけれど、参拝の方法が違う。二礼二拍手一礼。お賽銭箱の前のしめ縄の鈴を鳴らすのが神社。鳥居があるのが神社。
小さな頃に街の小さなお祭りをやっていたのも神社。幼き頃の思い出に神社はよく出てくる。けれどもお寺は曽祖父母のお葬式やお墓参りといった悲しい思い出が多い。日本には神社もあればお寺もあり、どちらも甲乙なく参拝するし、生活の中で違いはあれど違いを理由に何かが起きることも特にない。ただ疑問だったのは結婚式は神前があるが、お寺で結婚式をしたというのは聞かない。一方でお寺の檀家になればお墓を持つことになるが、神社で人間の供養がどの様になされるのかは知らない。
ずっと昔から日本を見守ってきた神について、僕は知らない、ということを知るお正月だった。
昨年2025年、偶然に訪れることがあった神社が1つある。丹生都比売神社。和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野に鎮座している紀伊国一宮。こちらは世界遺産に登録されている。当初は高野山へ向かっていたのだが、とある交差点で丹生都比売神社の看板を見つけ、何かに駆られるように向かった。引き寄せられるように。神社の詳細は別記事とするが、ここは弘法大師に高野山を授けた女神を祀り、あらゆる災厄を祓う「丹」(赤い顔料)を司る女神とのこと。


厳かな、神聖な場所。ただそれだけを強く感じた。空気、木々の揺らめき、そして構築物の色、大きさ、配置。目と耳と肺の中からも身が清められるような体験だった。赫赫必勝守を購入。赤を2つ並べた感じが2こ。これは御祭神が4つの殿あることからくるようだが、「かっかく」必勝守と読むようだ。とにかく、この赤。丹。を司る丹生都比売大神はあらゆる災厄を祓うという。外見からこんなにも灼熱なお守りを見たことがない。
そして、丹生都比売神社のホームページを読むと非常に興味深い単語が並んでいる。一之宮、日本三大厄神、御祭神、天照大御神、播磨風土記。聞いたことがあるが、何が何だか分かっていない知識。神社とは何か。神社について徒然なるままに調べて見ようと思う。考えるまでもなく身についた習慣のなかから、その所作ひとつひとつの歴史を学び、そしていつか後世に残せる身になりたい。
神話のみならず、陰陽五行説や江戸の作り、京都の作りといった昔の信仰も、程よく知識として深めておきたいと思う。古事記や日本書紀、そして風土記といった昔話に真実と信仰の線引をせずに楽しめる世界が広がっていることを願っている。